ロシア人墓地 その1
2010年 07月 08日
日露戦争で、ロシア兵捕虜として拘束された方々で、松山の地でお亡くなりになった戦艦艦長のワシリー・ボイスマン大佐をはじめ98名が眠っています。
日露戦争時に、日本で始めて松山にロシア兵捕虜の収容所が造られました。
多いときには、4,000人を超える捕虜を収容していたそうです。
戦争の収容所というと、アウシュヴィッツとか、ちょっとむごい感じを想像してしまいます。
ただ、松山の収容所は違いました。
松山市民は、捕虜たちに優しく接しました。
松山市民のうわさはロシア兵の間に広まり、投降する際「マツヤマ」と言って投降してきたロシア兵もいた程だそうです。
収容所で亡くなった方々のお墓は、その後もずっと、地域の人たちが見守り、きれいに保たれました。
訪れたこの日も、お花が添えてあり、草も生えてなく、とてもきれいにされていていました。
平成6年には、これまでの松山市民の行為に対し、感謝をしたいとロシアの方々から、友好の証としてボイスマン大佐の像が贈られました。
胸がじーんときました。
松山市民であることを誇りに思いました。
りんりんでした。
by ehimeblog | 2010-07-08 08:30 | 愛媛の暮らし