別子銅山産業遺産を訪ねて(旧別子地区)

 別子銅山は、元禄4年(1961年)の開抗以来、わが国の貿易や近代化の一翼を担ってきました。
 今回訪問したエリアは、開抗~大正5年まで、その別子銅山の本拠として栄えた旧別子エリア(銅山峰の南側)を散策しました。
 この地区には、当時、溶鉱炉や精銅所等の別子銅山本部のほか、集落、病院、学校、劇場等があり、全盛期には1万3千人近くの人が住んでいたそうです。
e0197164_150547.jpg小足谷小学校跡(石積み)を横目に続く登山道。


e0197164_1514235.jpg小足谷劇場跡(階段)。収容人数1000人を越える本格的大劇場だった。

 この別子銅山は、昭和48年に閉山し、今では、その跡が当時の栄華を語るのみです。
 これらの遺跡群は、いずれ自然に還るのでしょう。
 しかし、今日の東予地域の繁栄は、別子銅山における先人たちの労働と弛まぬ努力、そして幾多の困難や犠牲が礎となっていることを忘れてはなりません。

e0197164_1522826.jpg高橋精錬所跡。当時は煙害で焦土であったが、森林に還ろうとしている。

 なお、今回散策したエリアは、赤石山系への登山道ともなっており、当日(6月5日)は天気も良く、登山客も大勢いました。
 別子ダム付近の日浦登山口から、銅山峰(1294m)までは、約2時間。
 銅山峰の眼下に広がる一大工業都市「新居浜、東予地域」。
そこには、江戸や明治から連綿と息づく、別子銅山に生きた先人たちの意思と誇りを感じました。
e0197164_1533624.jpg銅山峰眼下に広がる新居浜市内。今日の発展を導いた先人達のご労苦に感謝します。

e0197164_154719.jpg大露頭。
その昔、切場長兵衛が発見した、この銅鉱石の「大露頭」から別子の物語は始まる。


 皆さんも、一度、別子銅山を訪れてみてはどうでしょうか。

【アクセス】
●国道11号線~県道47号線(新居浜別子山線)~(マイントピア別子経由)~日浦登山口(別子ダム付近):マイントピア別子から車で約30分
●日浦登山口~銅山峰:徒歩で約2時間

東予地方局地域政策課でした。

by ehimeblog | 2010-06-09 16:00 | 東予地方の観光

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