別子銅山・近代化産業遺産 鹿森社宅 パート1

新居浜市の「えんとつ山倶楽部」等が主催する
「歴史健康ウォーク・端出場~鹿森社宅産業遺産ツアー」
に先月参加しました。

当日は、紅葉見頃の日曜日でもあり、
集合場所となったマイントピア別子は、
関西など県外ナンバー車も多く駐車場は満杯の状態。
これら県外車の多くは、マイントピアでの休憩後に上部に向かい、
「東洋のマチュピチュ」として有名になった
東平(とうなる)地区に向かったようでした。
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一方、私たちツアー参加者は、駐車場西面の山裾から取り付き、
東平とは逆の尾根に向かって旧貯鉱庫の脇から続く山道を登ります。
参加者は、元鹿森社宅に縁のある人、松山の大学に来ている外国人研究者、
別子銅山に興味のある人、家族連れなど約80人にも膨れ上がり、
遺産に対する関心の高さに驚かされました。
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      (当時の社宅街全景【鹿森会提供】)

歩くこと数十分。標高250m付近まで登ると、
社宅の入り口である詰所、総務住宅跡に着きます。
幹直径40cm程度の常緑樹に囲まれた静かな佇まいです。
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ここには、元社宅住民による「鹿森会」が建立した記念碑と銅板レリーフがあります。
案内をしていただいた“語り部”河野義隆さんによると、会メンバーの手作りだそうです。
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さらに進むと、社宅のメインストリートとも言うべき階段にたどり着きます。
全長約200m、高低差数十mの石段です。
この両側に、切妻屋根を持つ長屋形式の社宅が数十棟あり、
各々が端にトイレ、中央には炊事場があって共同利用しました。
1棟は数戸~十戸程度から成り、
各戸は4畳半と3畳の2部屋が平均的な広さだったとのことです。
この鹿森に、昭和30年代には約1,300人が生活していたそうです。

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H.Iでした。

《つづく》

by ehimeblog | 2010-12-03 14:55 | 東予地方の観光

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