東京で見つけた愛媛 その1 『子規庵』
2011年 05月 09日
上野駅の北、直線でおよそ1.2kmのところにあります。
松山市出身の俳人、正岡子規は、明治27年2月から亡くなる明治35年9月までの8年間、この家に暮らしました。
実際に子規が住んだ建物は、戦災で焼失しましたが、門弟によって昭和26年に、ほぼ当時のままの姿に再建されたそうです。
こちらは庭から撮影。
向かって右側の部屋が、子規の部屋。
ここで「墨汁一滴」、「仰臥漫録」(ぎょうがまんろく)、「病牀六尺」(びょうしょうろくしゃく)などを書いたそうです。
病に臥してからは、この部屋から見える庭が子規のすべて、子規のいうところの「天地」となりました。
冬でも景色が見えるよう、高浜虚子の好意で当時としては珍しいガラス障子が入れられたそうです。
鳶見えて 冬あたたかや ガラス窓
建物内の撮影は禁止でしたので外からの撮影ですが、病床から子規が眺めた庭です。↓
朝顔の 花木深しや 松の中
椎の実を 拾ひに来るや 隣の子
この庭の草花、小鳥や蝶などの生き物を見て、そして季節や天候の移り変わりを感じて、最期まで句作に励んだ子規。
病床にあって、故郷松山のことをどう想ったのか、少し気になりました。
健さんのレポートでした。
by ehimeblog | 2011-05-09 13:25 | その他