青々とした別子の山にて  ―その1―

 松山自動車道の新居浜インターから、国道11号を経由して国領川沿いに山間の道「別子ライン」を進むと、数年前から「東洋のマチュピチュ」としてブレイクした東平地区へ向かう脇道があり、更に大永山トンネルを抜けて進むと、別子銅山発祥の地である、別子山のエリアに入ります。

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                【東平】
 
 元禄3年、1690年に鉱床が発見された別子銅山。以来、昭和48年、1973年に閉山されるまで、283年に及ぶ歴史を持ち、我国の近代化に大きく貢献しました。開坑から8年目の1698年の年間産銅量は1,521トン余りに達し、当時の世界最高を誇ったといわれています。

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 【歓喜坑(銅山最初の坑道。開坑当時の姿に再現されています。)】     


 現在では、明治時代の産業遺産等が深々とした森の中に佇み、真に静謐なイメージで、癒し効果も抜群。まさに森林浴プラス過去への郷愁のW効果です。
 
 
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         【小足谷付近(劇場や小学校の跡)】

  産業にとって、生産活動を支えるエネルギーの確保が死活問題であることは、今も昔も変わりがありません。約100年前まで、銅山の精錬活動や働く人々の生活を支えたエネルギー源は薪・炭でした。このため、別子周辺の山々の木材は切り倒され、その範囲は年々広がり、銅山開山から早い段階で、銅山峰より南側の別子一帯は、はげ山になったと言われています。

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   【別子銅山周辺 明治初期 出典:住友史料館)】 


(つづく)

【耳より情報】
愛媛県東予地方局では、別子銅山の歴史と産業遺産を紹介するパネル展を松山市で開催し、その後、東予管内5市町(今治市、新居浜市、西条市、四国中央市、上島町)を巡回します。
   松山展 場所:萬翠荘 
       期間:平成23年10月1日(土)~2日(日)

            *詳しくは こちらへ  

東予地方局 地域政策課でした。        

by ehimeblog | 2011-07-29 17:19 | 東予地方の観光

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