ブログ文学の旅(その9)~ 俳誌「ほととぎす」創刊の地 ~
2012年 01月 23日
正岡子規をはじめ、松山には数多くの文人がいました。
そこで、ブログを見ることで、
文学の町「松山」を再発見してもらおうという
とても知的な企画「ブログ文学の旅」。
9回目の今回は、松山市北立花町にある
俳誌「ほととぎす」創刊の地です。
明治30年、柳原極堂と正岡子規が共にはじめた月刊俳誌「ほととぎす」を発行したのが、この場所になります。
(その後、東京にいる高浜虚子に引き継がれました。)
子規が、この「ほととぎす」へ注いだ情熱は、
並々ならぬものがあったことはご存知のとおりです。
子規は、柳原極堂の1歳半年上でしたが、極堂の憧れの的であり、とても慕っていたそうです。
共立学校(後の、開成中学校)を卒業して松山に帰った後も、
地元の新聞社に務めながら、俳句の勉強もしていました。
子規が、松山に帰郷した時は、愚陀仏庵へ連日のように押しかけ、
俳句の指導を受けたりもしました。
名前も、子規に「極堂」という号に変えるように言われて、
その通り変えたそうで、とっても子規に心酔してたのがわかりますね。
極堂は、子規の死後、生涯のすべてを、子規の顕彰に捧げたそうです。
極堂をそこまでさせてしまう、子規の魅力ってすごいなって思いました。
今、県の生涯学習センターでは、
「柳原極堂
~子規を顕彰した偉人の素顔~」
と題した展覧会が、
3/11まで開催されていますので、
興味のある方は、
是非行ってみて下さいね。
りんりんでした。
【過去のブログ文学の旅】
ブログ文学の旅(その8)村上霽月邸跡
ブログ文学の旅(その7)お囲い池跡
ブログ文学の旅(その6)正岡子規母堂令妹住居跡
ブログ文学の旅(その5)正岡子規誕生地跡
ブログ文学の旅(その4)愚陀佛庵跡
ブログ文学の旅(その3)正岡子規生い立ちの家跡
ブログ文学の旅(その2)子規堂
ブログ文学の旅(その1)一草庵
by ehimeblog | 2012-01-23 08:30 | 愛媛の文化