東京で見つけた愛媛 その8~新田義貞の銅像の秘密~
2014年 06月 27日
ここは、1333年、新田義貞が鎌倉幕府を倒すため挙兵した地です。
境内には、その時に軍旗を掲げたと伝わる木も残っています。
銅像もありました。
ここで挙兵した義貞は、その勢いで鎌倉に攻め込み、幕府を滅亡に追い込みました。
後醍醐天皇による建武の新政の立役者となった義貞ですが、その後は南朝方の武将として足利尊氏と争い各地で転戦、最後は越前で討死しました。
その義貞を常に支え、一緒に戦っていたのが、実弟の脇屋 義助(わきや よしすけ)。
義助は義貞の死後、西国での勢力を回復すべく、南朝方の総帥として伊予に派遣されました。
しかし、今治に到着した直後、病にたおれ急逝。
現在、その今治市国分寺には、義助の立派な墓(廟堂)があります。
場所は、四国霊場59番札所、国分寺のすぐ裏手。
ちなみに、義助の死後、これを好機と見た北朝方は大軍をもって伊予に侵攻。
40日余り熾烈な攻防が続きましたが、ついに世田城(西条市)・笠松城(今治市)が落城し、北朝方の勝利に終わりました。
都から遠く離れた愛媛でも、南北朝の激しい戦いが行われたんですね。
(参考:現地説明看板)
さて、先に紹介した生品神社の新田義貞の銅像。
作者は、千葉県在住の彫塑家、脇谷幸正さん。
なんと、今治で亡くなった脇屋義助から24代目のご子孫だそうです!!
健さんのレポートでした。
東京で見つけた愛媛
その1 『子規庵』はこちら
その2 『野間馬』はこちら
その3 『楠木正成像』はこちら
その4 『秋山真之終焉の地』はこちら
その5 『浅草寺』はこちら
その6 『正岡子規記念球場』はこちら
その7 『深大寺の句碑』はこちら
by ehimeblog | 2014-06-27 00:42 | 愛媛の文化