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新居浜・星越 山田社宅そぞろ歩き その1

別子銅山関連の産業遺産としては、「東洋のマチュピチュ」としてブームとなっている東平地区やマイントピア別子の端出場などが有名ですが、未だ整備されていない数々の遺産の中にあって、異彩を放つのが星越地区の山田社宅でしょう。いや、現在も少数の社員が居住している社宅を遺産と呼ぶのは尚早かもしれませんが・・・。

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先日、新居浜のまちづくりグループ「別子往還道を育てる会」が開催した「星越まち歩きと記憶の継承ワークショップ」に参加して、星越界隈、山田社宅周辺を歩きました。
この社宅は1929年(昭和4年)から約10年にわたって建設された住友幹部用のものです。当時の住友別子鉱山常務、鷲尾勘解治(1881-1981)が建設を主導しました。鷲尾は別子銅山の将来性がないことを知り「別子末期の経営」と題した演説で新居浜のインフラ整備の必要性を訴え、その具体的方策をまとめた「新居浜後栄策」に基づいて、「昭和通り」を始めとした道路や港の整備など、新居浜の都市計画を住友の資金で推進したのです。山田社宅の建設もその一環でした。

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約250戸が別子鉱山・下部鉄道の星越駅周辺に建てられました。敷地は100坪を越えて生垣を張り巡らし、家屋形状は画一的でなく多様性に富んでいます。山田社宅の特徴として、
 ○風通しを良くするための、東西に長く、南北を開け放した家屋形状
 ○緑豊かな生け垣の設置による風通しの確保
 ○多様な屋根形式(切妻、寄棟、入母屋等)
 ○一戸建てと二戸建てが混在     などが挙げられます。

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交番跡です。街には配給所(現代の「コンビニ」)、浴場、理髪店などもありました。

戦前の社宅街で、このような規模で、かつ建築当時の形のまま現存しているのは全国でも当地だけです。(しかも一部は社宅として現役です!)まさに昭和の暮らしを思い起こさせる街なみなのです。

(その2につづく)

H・Iでした。

by ehimeblog | 2010-08-02 10:30 | 東予地方の観光

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