新居浜・星越 山田社宅そぞろ歩き その1
2010年 08月 02日
先日、新居浜のまちづくりグループ「別子往還道を育てる会」が開催した「星越まち歩きと記憶の継承ワークショップ」に参加して、星越界隈、山田社宅周辺を歩きました。
この社宅は1929年(昭和4年)から約10年にわたって建設された住友幹部用のものです。当時の住友別子鉱山常務、鷲尾勘解治(1881-1981)が建設を主導しました。鷲尾は別子銅山の将来性がないことを知り「別子末期の経営」と題した演説で新居浜のインフラ整備の必要性を訴え、その具体的方策をまとめた「新居浜後栄策」に基づいて、「昭和通り」を始めとした道路や港の整備など、新居浜の都市計画を住友の資金で推進したのです。山田社宅の建設もその一環でした。
約250戸が別子鉱山・下部鉄道の星越駅周辺に建てられました。敷地は100坪を越えて生垣を張り巡らし、家屋形状は画一的でなく多様性に富んでいます。山田社宅の特徴として、
○風通しを良くするための、東西に長く、南北を開け放した家屋形状
○緑豊かな生け垣の設置による風通しの確保
○多様な屋根形式(切妻、寄棟、入母屋等)
○一戸建てと二戸建てが混在 などが挙げられます。
交番跡です。街には配給所(現代の「コンビニ」)、浴場、理髪店などもありました。
戦前の社宅街で、このような規模で、かつ建築当時の形のまま現存しているのは全国でも当地だけです。(しかも一部は社宅として現役です!)まさに昭和の暮らしを思い起こさせる街なみなのです。
(その2につづく)
H・Iでした。
by ehimeblog | 2010-08-02 10:30 | 東予地方の観光