赤穂浪士と松山藩
2010年 12月 14日
愛媛と忠臣蔵に何の関係があるの?と思われた方、
ちょっと聞いてください。
吉良上野介を討ち取り、仇討ちを果たした赤穂浪士は、
ご存知のとおり、江戸幕府から全員切腹の命が下りますが、
その47士のうち10名が、江戸にある松山藩邸で切腹したんです。
その中には、歴史好きなら誰でも知っている
大石内蔵助の長男で、まだ16歳だった大石主税(ちから)や
剣の猛者でとっても有名な堀部安兵衛、
他に大高源五なんかも含まれていたんです。
もうこの名前を聞いただけで、何かゾクゾクしてきますよね。
で、時の松山藩主 松平定直公は、
松山藩の預かりとなったその10名の赤穂浪士たちを
とても丁重にあつかったそうです。
後に、このことを知った
播州赤穂の人たちは、
その優しさに触れ、
感謝の意味を込めて、
赤穂の特産のハゼの苗木を
松山に送ってきたそうです。
その木が、
ここ道後公園のお堀の南側に
ひっそりと立っています。
ロシア人墓地の時と同じように、
松山の人の優しさに触れ、とても胸がジーンとして、
松山市民であることを誇りに思いました。
歴りんりんでした。
by ehimeblog | 2010-12-14 08:30 | 愛媛の文化