ブログ文学の旅(その8)~ 村上霽月邸跡 ~
2011年 05月 27日
正岡子規をはじめ、松山には数多くの文人がいました。
そこで、ブログを見ることで、
文学の町「松山」を再発見してもらおうという
とても知的な企画「ブログ文学の旅」。
今回は、松山市西垣生町にある「村上霽月(せいげつ)の邸宅跡」です。

村上霽月、本名 村上半太郎は、明治2年(1869)、
今出(現在の松山市西垣生町)に生まれました。

霽月は、正岡子規の句友で、
「日本」や「ホトトギス」にも投句していたそうです。
ここに、子規が来たこともあるそうですよ。
のちに霽月は、独特の俳句様式を創り出し、独自の道を歩んでいきました。
子規のほかにも、夏目漱石や高浜虚子などとも親交があったそうです。
また、実業家としても有名で、経済界にも大きな役割を果たしました。

ちょっと話変わって、村上邸跡のすぐ近くにある垣生小学校。
校門に、何やら木製のたて看板のようなものが。
そこには、今月の俳句の里賞とあって小学生の優秀な俳句作品が。
この辺りに、俳句が根付いていることがわかりますね。

りんりんでした。
by ehimeblog | 2011-05-27 09:10 | 愛媛の文化


